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戦艦大和と連合艦隊終焉の地の旅 ~江田島編②~ [軍艦]

空母「天城」終焉の地を出るとしばらく走り続けることになりました。目指すは江田島の中心部。ちょっと距離があります。

目的地は重巡洋艦「利根」大破着底の地。写真から、かなり正確に着底地点が判明していました。

「利根」が他の艦の様子と違っていたのは、このそばに記念館が建っていたことです。といっても、平屋の小さなものですが、艦内で使っていた風呂桶などが展示してありました。近所の国民休暇村で鍵を借りればだれでもドアを開けてみることができます。

次に目指すのは、「利根」の位置から近いところで、ここに来る前に大体あたりをつけていたところ。実は一番訪れてみたかったところです。それは軽巡洋艦「大淀」終焉の地。何を隠そう一番好きな艦です。

ちょっと紹介すると「大淀」が完成したのは昭和18年。多数の潜水艦を率いて戦う部隊の旗艦というなんとも豪快な戦略のもと活躍することを目的に建造され、優れた指揮能力が必要だったために通信設備が通常の艦より強化され、情報を潜水艦に伝えるために多数の偵察機を短時間で発進させるために巨大なカタパルトを艦尾に装備するという特異な艦でした。

しかし、完成したときには既に潜水艦を指揮して戦えるような戦況では無かったためろくに活躍できず不遇をかこっていたのですが、その強力な通信設備を買われて改装され、最後の連合艦隊旗艦となった歴史的な艦です。その後連合艦隊司令部が陸上に移ってからは戦艦「伊勢」「日向」とともに有名な「小沢囮部隊」の一艦として参加、死地を潜り抜けてきた殊勲艦。下写真は新造時のものです。

しかし、この殊勲艦にも最期の時が・・・ 下はその様子です。

連合艦隊の最期を象徴するような姿です。この姿の地は今は・・・

いたって穏やかな海。驚いたのはその海の狭さ。ここに魚雷や爆弾を抱えて攻撃ができるものか!? 実際にはやったわけですから、当時の米軍パイロットの技量には舌を巻きます。

さて、いよいよ後半戦。ここまでで9時。時間が迫る!(つづく)


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コメント 7

じょばんに

うーん何か、胸を打つ写真の数々に思わず見入ってしまいました。
それにしても本物の大和の大きさは想像がつきませんが、乗員が不沈艦と信じて疑わなかったことを思うと、あまりにも痛ましい最期に思いを馳せずにはいられませんね。良い、旅をされました。私も一度行ってみたいものです。
そーれーに大好きなど^-も君にこんなところでであえるとはっ!!
by じょばんに (2005-11-16 13:05) 

AURA

>じょばんにさま
コメントありがとうございます<(_ _)>
そのあたりの乗組員の複雑な心境を来月公開の映画でどう描いているかが興味ありますね。
ところで、私も出張で各地に行くときは「ご当地どーもくん」を買いあさっているクチです(^^;)
by AURA (2005-11-17 21:03) 

平八郎

はじめまして。私は江田島に住むものです。
大淀最後の画像初めて拝見しました。
私自身、戦艦などには興味ないのですが、小さい頃から、子ども会のみんなで、大淀の慰霊碑の掃除をしに行ってました。
 その大淀最後の画像をみて色んな事を考えました。
実家の天井には、今でも流れ弾の跡が残っています。一発ですが。。
 私は34歳で、戦争は全く知りません。
が、小さい頃わけも分からず掃除していた大淀慰霊碑のおかげで、伝えていく事の大切さを実感しています。
by 平八郎 (2008-02-09 00:02) 

AURA

>平八郎様
コメントをありがとうございます。
大淀の慰霊碑があったことは知りませんでした。あれば必ず手を合わせに行ったはずですのに・・・ ちょっと残念です。
この呉大空襲はそれはそれは激しい戦闘だったそうです。ご実家に流れ弾の跡が残っていても不思議では無いかも知れませんね。
写真は何事かを無言で語ります。この写真には人は写っていませんが、背景には多くの人の生き死にがある訳です。それに思いをはせることが我々に出来るせめてもの供養なのでしょう。
by AURA (2008-02-16 23:19) 

平八郎

返信ありがとうございます。
大淀慰霊碑は非常に分かりにくい場所にあり、案内もないので遠方から来る方には、まず見つける事は出来ないでしょう。
 もし、また江田島を訪れる機会があれば、地元の人間に聞いてみるとよいでしょう。
 利根の慰霊碑から、車で5分弱の所にあります。
江田島市大柿町飛渡瀬という場所です。
 
by 平八郎 (2008-02-19 13:41) 

みやざわ

んーすごい写真ですね。
私の父は、この写真の大淀に,海軍軍医大尉として乗っていました。子供のころから大淀の話は聞いておりましたが実物の写真は始めて拝見いたしました。
最後のレイテ突撃に向かう準備をしているところ、米軍の爆弾が煙突に直撃し艦底のボイラ室にて爆発し,沈没したと聞いております。うちの父は艦の煙突沿いの軍医長室のに居りました所、突然、爆発が起こり吹き飛ばされ気がついたときには艦は傾いていたようでございます。急いで船底のボイラ室に向かいましたところ400人ボイラー室内にいらした方々は、作業姿のまま固まって亡くなっていらしたようでございます。父は「生きてるかー、生きてるかー」と1人ずつ軽くけって確認して歩いたようでございます。中には「イテテテ、軍医長いってーなー」といって起きてこられる方もいらしたようでございます。
うちの父は、大連にて終戦を向かえ、東京丸の内で長く開業をしておりましたが、今から10年ほど前に亡くなりました。
この写真を見せてあげたかったです。
ありがとうございました。
by みやざわ (2009-02-06 13:41) 

AURA

>みやざわさま

コメントをありがとうございます。
お父様は大変なご経験をされたのですね。写真のようにまさしく大破の状態ですから、その状況は推して知るべしでしょう。
大淀のプラモデルが昨年新しく発売されましたので、宜しければ墓前にお供えなどされてはいかがでしょうか。

貴重なお話に感謝いたします。また宜しければご覧になりにお越しください<(_ _)>
by AURA (2009-02-07 23:55) 

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