戦艦大和と連合艦隊終焉の地の旅 ~江田島編③~ [軍艦]
「大淀」終焉の地を後にして北上・・・・と、はいかず、ちょっと東へ外れることにしました。
江田島北部を東西に貫く長い「秋月トンネル」をくぐって江田島の東岸へ。東へ出たところでちょっと南に戻ったところが目的地。秋月というところです。
そこは空母「龍鳳」が終戦を迎えたところです。ここの東側は呉市。
空母「龍鳳」はカテゴリーとしては小型に属する空母。目だった活躍はしていませんが、終戦時に海に浮かんでいた数少ない空母です。他の艦のように大破着底はせず、被害を受けて航行不能になり飛行甲板にダメージを受けた状態でした。その状態で係留されていたのがこの場所です。段々畑のある実に穏やかなところです。
さぁ、ここまで来て10時ちょっと前。例のイベント時間まであとわずか。間に合わなくても次があるから焦らなくてもいいものの、出来る限り先に行きたいので出発することにしました。
目指すところは海上自衛隊第一術科学校。そこは現在海上自衛隊の幹部クラスが専門課程を学ぶところ。戦時中には、海軍兵学校がそこに置かれ、多くの士官がそこから巣立っていた歴史あるところです。現在そこでは一般公開が行われており一回りに一時間かかることがわかっており、10時が一番近いスタート時間だったわけです。
先を急いでナビを頼りに進行したのですが、目的地正門に着いたときには10時数分前。そこでは、いかにも「駆け込みます!」といった風情の観光客が走っていました。「そこまでしてはなぁ・・・」という気がしましたので、あっさり次の一般公開時間の11時まで見送ることにしました。とはいえ時間は無駄にしたくない。そこで最後の探訪地に向かうことにしました。
それは戦艦「榛名」終焉の地。海上自衛隊第一術科学校から車で数分のところにある小用港沖がその場所です。
小用港にはすぐに着いたものの、クルマを停められる場所を探すのに手間取り、さらに撮影のベストポジションとなる防波堤を間違えたことで無駄な時間を費やしてしまいました。苦労してたどり着いたのがここです。
この「榛名」、日本の戦艦としては老齢の部類に属するものでしたが数々の活躍を見せた殊勲艦と言われます。特に、ガダルカナル島の米軍飛行場をその主砲で攻撃するという当時としては画期的な戦艦の使用法でもってダメージを与え、航空機に海戦の主役の座を追われた戦艦の有効な使用法である、と敵味方ともに認められることになりました。それがいわゆる「艦砲射撃」というやつで、後の朝鮮戦争やベトナム戦争で戦艦の役割といえば艦砲射撃。まさにその魁となった訳です。しかし大戦末期に「日向」「伊勢」同様に大破着底するという最期を迎えました。
これで江田島を巡った連合艦隊終焉の地の旅は終わりです。付け加えておきますと、この場所を見てみたかったのは確かですが、ただ単に物見遊山で言った訳ではありません。それぞれの地において、亡くなった方に黙祷を捧げてきました。安らかに・・・
さぁ、ここから第一術科学校へとんぼ返り!!(つづく)
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